会長の随筆箱 9

9箱目「お木蔵さん」と呼びたくなるお地蔵さん

―上原美術館企画展『伊豆民間仏めぐり』見学(令和7年7月6日)

田村整氏が伊豆を東奔西走してお呼びした『伊豆民間仏めぐり』展(上原美術館・静岡県下田市・田村整氏は同館主任学芸員)での素朴なみほとけの数々から、それはそれは並大抵でない衝撃を頂いたのでした。

わけても下田は須原の薬師堂のお地蔵さんは、深く心に残ります。

長方形の丸みを帯びた頭に、両耳の穴はあるようですが、目鼻口とも表情がわからず、板きれのようなお体は足もなく立っていて、手を一本曲げていて、もう一本は失われたまま、手を合わせようとしています。

私には木霊(こだま)そのものに見えました。木のたましひが、そのままみほとけとして浮かび出たかのような気がしました。だから、私は挨拶するかのように、するりと手を合わせることができました。

この類のお姿に手を合わせるのは、私には覚えがあります。私の家人は中国の雲南省の出身ですが、このお地蔵さんの形は、中国での位牌の形を彷彿(ほうふつ)させました。中国の位牌は木主(ぼくしゅ)ともいいます。頭も身体も一体の板でしかありませんが、頭の天辺は丸みを帯びて、下は短い足が曲がって立っています。手も首もなく、かろうじて人の形をしていますが、先祖そのもので、先祖の魂が宿るから、手を合わせますし、私もそれに慣れているのです。

下田は須原のお地蔵さんとご対面して、私は位牌に手を合わせるのと似た感覚になりました。このお地蔵さんも、文字そのままに木主でもあって、みほとけでもあるのでしょう。だから自然に手を合わせたのだろうと思います。

お地蔵さんだから、大地の生命力や霊力の信仰が根底にあるはずですが、こちらのご像は、木や森の生命力や霊力がそのままみほとけのお姿になったのだから、むしろ「お木蔵さん」と呼びたくなりました。木仏は、お木蔵さんでもあるのだなあ、と。

イラスト:地蔵菩薩像(下田市須原薬師堂・像高:20.3㎝)