会長の随筆箱10
10箱目 名前
「深沢潮」という名前は、さんずいが三つ続いて、たいへん美しい。人が命名するときは、命名者の愛がかならず潜んでいる。学生名簿をめくるたびに、親御さんとか、家族が生まれた子供に寄せる深い愛を感じる。深沢潮は、育った国や生きている場所に深い思いがあるからこそ、この三つの漢字を筆名にしている(想像に難くない)(しかも、深沢潮は日本国籍であるから、日本名を使うのは当然だ)。
「日本名を使うな」という主張は、暴力そのものだ。その主張は「ひと」とひとが本来もつ主張する権利(たとえば性暴力に対する抗議)を扼殺し、個人とその個人が生きてきた切実な背景と歴史(たとえば子供が差別されたくないから、在日コリアンの親は子供に通名を与えることも多い等の事情)を蹂躙しているのだ。
名前は神聖だ。人権そのものだ。「日本名を使うな」は、暴力である(言論とはもちろんいえない。論理がない)。言葉は人だって殺すのだ。


(PEN:SAILOR PROFIT 21〈長刀研ぎN-МF〉+INK:SAILOR「山鳥」 〈「四季織」SERIES〉 +PAPER:明治大学教養論集刊行会200字詰)